
音楽家・音楽制作者である、宇都宮泰氏。近年では、独自に開発したレコーディングやマスタリング、音源を復元する活動や、CDのリリースなどで知られている。その宇都宮氏が近年進めている興味深いプロジェクトの一つに、マイクロホン開発「BAROm1」がある。現在配布されているBAROm1は、その性能や独自性の高さもあって、日本のみならず海外にまで愛用者が広がっている。今回、大阪・天王寺動物園で特別に録音を実演していただいた。さらに、開発中のBAROm1マイクロホンについて詳しくお話を伺い、提供していただいたその時の音源も合わせて公開する。
BAROm1マイクロホンは、現在、Facebookの「BAROm1研究所」にて配布されているだけでなく、自身で製作できるよう、その方法や資料の公開が進められている。

BAROm1マイクロホンは、これまでとは異なる思想を背景にした特殊な形状をしており、人間の聴覚に近似した録音を目指したマイクロホンとなっている。
宇都宮氏によれば、完成したマイクロホンで音を聴いたとき、「音がいい」というよりも「正確な音」だと思ったという。
「良い音」という言葉は、音響の世界ではさまざまな意味で使われている。高価な機材や、長く使われてきた定番の機材、著名なエンジニアが使う機材など、さまざまな経験や評価の積み重ねによって、「良い機材」「良い音」という基準も作られてきた。
しかし、宇都宮氏がBAROm1で目を向けているのは、そうした機材の評価そのものではない。
その問いを、いったん機材の価格やブランドから離れ、実際に音がどのように捉えられているのかというところまで戻して考えている。
マイクロホンの評価には、音圧や周波数特性などで測ることのできる物理的な評価だけでなく、人が実際にどのように聴くのかという心理的な側面もある。しかし、これまでの音響技術では、心理的な評価は測定が難しいこともあり、物理的に測定できる特性が重視される傾向があった。
BAROm1が目指しているのは、物理的な特性だけを整えることではなく、実際に人が聴いたときの感覚との整合性まで含めた「正確さ」である。
BAROm1では、人間の耳に近い構造を持ちながらも、これまでのバイノーラル録音とは異なる設計となっている。

まず、目を惹くのがアクリル板である。この板には、プレッシャー・ゾーン・マイクロホンやバウンダリー・マイクロホンと近い機能があり、宇都宮氏によれば、約+3dBほど感度が上がるのだそう。
また、コンデンサーマイクロホンのカプセル内にある空間、バックキャビティーに加えて、アクリル板内にもセカンド・バックキャビティーが設けられている。さらに細い管によるセカンド・ローパスフィルターも追加されている。

これらによって、コンデンサーマイクロホン・カプセルに対する空気圧の変化を、単純に音として捉えるのではなく、マイクロホンの構造の中でコントロールする。これまでとは異なるアプローチによって、コンデンサーマイクロホン・カプセルの性能を引き出し、実用化している。
では、なぜ宇都宮氏はこのような構造を考えるに至ったのだろうか。
宇都宮氏は、以前、大観覧車の中でセリフを録音したことがあった。録音した音源を持ち帰り、あらためて聴き直したところ、あることに気づいたという。
ゆっくり回る観覧車の中では、ゴンドラの上下によって、非常にゆっくりとした気圧の変化が起こる。その変化まで、マイクロホンのカプセルにある振動板が受けていた。
通常の録音では、こうした非常にゆっくりした圧力変化は、音として扱う必要がないものとして、フィルターなどによって取り除かれている。しかし、実際にはマイクロホンの振動板そのものは、その変化を受けている。
ここで興味深いのは、宇都宮氏がその現象を単に「録音に不要なもの」として処理しなかったことである。
録音された音に何か違いがあれば、通常はその音をどう補正するかを考える。しかし宇都宮氏は、なぜそのような音が録音されたのか、そのときマイクロホンの中では何が起きているのかを考えた。
問題は、単純に「気圧変化を拾わないようにする」ことではなかった。マイクロホンの振動板が受ける空気圧を、どのように扱えばよいのか。そこから、バックキャビティーやローパスフィルターの働きをあらためて考え、マイクロホンの構造そのものによって圧力の変化をコントロールするという発想へと考えが進んでいった。
BAROm1では、カプセル内部のバックキャビティーだけではなく、アクリル板の内部にセカンド・バックキャビティーを設け、さらに細い管によるセカンド・ローパスフィルターを加えている。これによって、コンデンサーマイクロホン・カプセルの低域特性を0.1Hz以下まで延ばすことが可能になった。
これまでの録音技術では、このような人の耳には聞こえないほど低い周波数の変化は、再生することも難しく、録音しても意味がないものと考えられてきた。しかし、実際にそこまで低い領域を含めて録音できるようにしてみると、従来は録音の対象として見落とされていたものが、人間の聴覚との関係において意味を持つ可能性が見えてきた。
BAROm1が目指している「正確な音」は、単純に物理的な測定値を正確にすることではない。人間が実際に聴いたときに感じるものとの整合性まで含めて、音を捉えようとするものである。
大観覧車での録音によって気づいた「非常にゆっくりした空気圧の変化」をきっかけに、マイクロホンの振動板と、その前後にある空気の関係を考える。その考え方が、BAROm1の独特な構造へとつながっている。
ここに、宇都宮氏の創造性の一端を見ることができる。
それは、まったく新しいものを突然生み出すということではなく、誰もが当たり前のものとして扱っている現象を、もう一度観察し、そこから考え直すことなのかもしれない。

宇都宮氏によれば、BAROm1の実機はとてもシンプルな構成になっている。デジタルレコーダーにマイクロホンを取り付け、録音できる状態になるまでのセットアップは数分で完了する。
ちなみにレコーダーは、ZOOM社のH1シリーズなどのエントリーモデルを推奨している。BAROm1との回路的な相性がよく、性能を引き出すためである。

このあたりにも、宇都宮氏のこだわりがある。機動力を重視し、できるだけシンプルに扱えることを考え、BAROm1は3.5mmミニステレオジャックによるプラグインパワーで駆動し、キャノン(XLR)によるバランス接続は採用していない。
現場におけるレコーディングでは、できるだけ人的なミスや機材トラブルを避けることが重要になる。プロの録音現場ではほぼすべてバランス接続が採用されているが、宇都宮氏によれば、本質的にはアンバランス接続のほうが物理特性はよりよいという。
バランス接続では、信号を伝送するための回路などが必要になる。一方、アンバランス接続は、そうした回路を必要とせず、よりシンプルな構成にできる。長いケーブルを使用する場合にはバランス接続によるノイズ対策が有効だが、BAROm1のように、できるだけ短いケーブルを使うことを前提としたレコーディングセットでは、その必要性は低い。
一般的にはアンバランス接続のほうがローコストという認識がされやすいが、宇都宮氏が重視しているのはコストだけではない。汎用性をあえて切り捨て、BAROm1と指定した録音機との組み合わせによって、より強力な性能を得られるように「割り切った」設計としている。
ここでも、既存の機材を基準にするのではなく、実際の用途に必要なものは何かというところから構成が考えられている。

宇都宮泰氏と天王寺動物園を歩きながら、BAROm1マイクロホンで録音した音を聴いていただくサウンドウォーク。これは特定の動物の声を聴くための音源ではなく、その場所に存在するさまざまな音を、宇都宮氏が聴いている世界に近いかたちで捉えたものです。
BAROm1が目指す「正確な音」を実際に聴いていただくための、音のリファレンスとして無料公開します。写真とともに、音のある場所を想像しながら聴いてみてください。
デジタルアルバム:音のリファレンス こちらから → ダウンロード
ご利用にあたって
この音源は、作者のご厚意により個人でお楽しみいただくためのものです。無断での販売、転載、再配布、公開、二次利用などは行わないようお願いいたします。
こうしたシンプルな構成は、機材を小さくまとめるだけでなく、複数のセットを用意して、それぞれを別々の場所に設置することも可能にする。写真では、セットを複数用いて録音している。
それぞれのセットで録音した音源は、後から同期させることができる。宇都宮氏が考案した「後から同期」という手法である。

今回はその概要を紹介するにとどめるが、複数の録音セットを使うことで、マルチトラックレコーディングと同じように、それぞれの音源を独立したトラックとして扱い、後から極めて高い精度で同期させることができる。ここでも、宇都宮氏が作っているのは単純な「マイクロホン」だけではない。マイクロホンをどのように使い、どのように録音するかという方法まで含めて、録音そのものを組み立て直している。

宇都宮氏のBAROm1は、アクリル板の形状をはじめ、大型のセカンド・バックキャビティーやローパスフィルター、さらに既製品として入手可能なコンデンサーカプセルが持つポテンシャルを十分に発揮できるよう開発されたマイクロホンである。
実際に録音された音を聴いてみると、コンデンサーマイクロホン特有の癖を感じることはなく、その場で実際に聞いた音と録音された音との違いもほとんど感じられない。音のリファレンスといっても過言ではない完成度であった。
しかし、BAROm1の面白さは、その音の完成度だけにとどまらない。
音響の世界には、業界の標準とされている高価な機材も存在する。一方で、宇都宮氏は、既製の機材を前提とするのではなく、身近に入手できるコンデンサーカプセルのポテンシャルを引き出し、物理特性だけでなく、ヒアリングとの整合性を重視しながら、独自の構造を持つマイクロホンを制作している。
宇都宮氏は、元々は録音物の制作者であり、そこで生まれた録音技法は機器の製作にとどまらず、実際にCDプレスされた音源「Utsunomia Mix」シリーズとしてもリリースされている。
こうして見ていくと、BAROm1は単に「新しいマイクロホンを作った」という話ではないことがわかる。
既存の機材や方法を前提にするのではなく、目の前で起きている現象を観察し、そこからもう一度考える。そして、必要であれば機材の構造を変え、録音方法そのものも変えていく。
宇都宮氏の創造性は、そうした一連の思考と実践の中に現れているように思う。
BAROm1を通して見えてくるのは、特殊な形状をした一台のマイクロホンだけではない。音をどのように捉えるのか、その方法そのものを問い直す姿勢である。
今回の実演を通して、その一端を知ることができた。今後、宇都宮氏がどのような音を、どのような方法で捉えていくのか、その活動が楽しみである。
音楽家として音楽プロデューサーとして1970年代より活動。
70年代の後半から音楽活動、大学では諸井誠,塩谷宏に師事し、当初はシンセサイザーや古典電子音楽系のコンクール向け作品や劇伴を作曲・演奏・制作、その後制作分野に転向し、インディペンデントではAFTER DINNER、少年ナイフ、JON(犬)、紅花林、テニスコーツなどのアルバム制作の他、音源修復やマスタリングなども幅広く手掛ける。近年では即興分野としてUtsunomia MIXシリーズを手がける。独自の作編曲だけでなく、録音技術や関わる機器の開発、音楽と録音制作技術の融合、セオリーそのものの開拓を生業としている。2024年から自身の演奏活動も再開。