9月26日、27日の2日間、亀有SKAC(PARK)で、フィールドレコーディング講座のスピンオフイベント「フィールドレコーディングワークショップ・リスニング&トーク」が開催された。1日目はワークショップ、2日目はリスニング&トークが行われ、それぞれの内容にふさわしい多彩なゲストを迎え、さまざまな切り口からフィールドレコーディングについて語り合いながら、音の振る舞いに耳を傾けた。
今回の企画は、ここ数年、共同で講座を運営している柳沢英輔氏と井口寛氏が中心となって進められた。ゲストには佐々木敦氏、虹釜太郎氏、1729氏、坂口修一郎氏を迎え、幅広い視点から音を録ること、聴くことについて考える機会となった。
また、このスピンオフイベントは、オーディオテクニカとVDSによる「アナログマーケット」のプログラムの一つとして実施された。SKWAT内にはレコードショップが設けられ、ヘッドホンやレコード針などのオーディオ関連機器を試聴できるなど、音を聴くことをさまざまな角度から体験できるプログラムとなっていた。
今回は、2日目のリスニング&トークから、前半の坂口修一郎氏、1729氏、柳沢英輔氏、後半の佐々木敦氏、虹釜太郎氏、柳沢英輔氏によるトークを中心に、音を録ること、聴くことについて語られた内容を紹介する。

最初に紹介されたのは、1729氏が自ら録音した音をレコードにカッティングした、一枚だけのダブプレートだった。収録されているのは、娘が遊んでいた小銭の音から着想を得て制作した作品。日常のなかにある何気ない音を録音し、そこから新たな作品をつくり出している。
ここでは、フィールドレコーディングは必ずしも「その場の音をそのまま記録すること」だけではなく、録音した音を素材として別の作品へと展開する行為でもあることが示された。

小銭が床に落ちる音を聴くと、私たちは音だけから「何かが落ちた」と瞬間的に判断し、ときには、どの硬貨なのかまで想像する。そこには、音と身体的な記憶との結びつきがある。さらに、キャッシュレス化によって、小銭を落としたり、拾ったり、誰かに「チャリン」と渡したりする経験そのものが少なくなっていくという話から、録音とは、単に音を残すだけではなく、失われつつある日常の感覚を残すことでもあるのではないか、というところまで話が広がった。

坂口修一郎氏が紹介したのは、写真家・浜本奏の写真集『−・・』。音と場所の関係について、さらに話が掘り下げられた。写真集には、撮影した場所の音を収録した7インチレコードが付属している。そこでは、現在の風景を見るだけではなく、その土地に残された歴史を知り、写真と音、テキストを通して場所に潜っていく。

たとえば、現在は海やサーフィンの風景として知られる場所にも、戦時中には軍事的な意味を持っていた歴史がある。そのことを知ったうえで波の音を聴くと、同じ音でも意味が変わって聞こえてくる。音そのものは何も変わっていなくても、その場所がどのような場所なのかという情報が加わることで、聴く側の想像力が動き始める。
坂口氏は、フィールドレコーディングと写真には、映像よりも近い感覚があると話す。
フィールドレコーディングでは、先入観を持たずに音を聴くと、それが何の音なのか分からないこともある。聴き手は、音が聞こえてくる環境を想像しながら、その正体を探っていく。一方、写真もまた、一瞬を切り取ったものでありながら、その一枚のなかには時間が凝縮されている。写されたものから何を読み取るかには、見る側の想像力が必要になる。記録された音や写真を手がかりに、その背後にあるものを想像する。そこに、両者の共通性がある。こうした「場所性」の問題は、福島第一原発を録音したフィールドレコーディング作品の話にもつながった。1729氏と坂口氏は、社会学者の開沼博による作品『選別と解釈と饒舌さの共生』(2021年発表)に触れた。1729氏は、原発で録音された音も、それだけを聴いていると、そこが福島第一原発だとは分からず、日常的な音として聞こえることがあると話した。坂口氏は、その場所について知ったうえで聴くと、音の印象は大きく変わると指摘する。そこは福島第一原発という特別な場所である一方、日々働く人々がいて、海の音も聞こえる場所でもある。実際に訪れた経験から、生活の音がほとんどなく、作業音もそれほど聞こえない環境だったと振り返った。
場所の背景や実際の様子を知ることで、録音された音から想像できることも変わってくる。
柳沢氏は、場所の背景によって音の聞こえ方が変わる例として、ピーター・キューザックの作品集『Dangerous Places』(2012)を紹介した。同作には、チェルノブイリの原発事故に関係する森などで録音された音が含まれている。音だけを聴けば、豊かな自然の音として受け取れるものでも、その場所がどこなのかを知ることで、聞こえ方は大きく変わる。音と場所の文脈は、切り離せない関係にある。
一方で、場所の背景をどこまで説明するかは、作品をつくるうえで難しい問題でもある。柳沢氏は、何も説明しなければ音だけで伝わることに限られるが、すべてを説明してしまうと、聴き手が音から想像する余地を狭めてしまうと話す。場所の文脈を伝えることと、聴き手の想像力に委ねること。そのバランスをどう取るかは、とりわけドキュメンタリー的なフィールドレコーディングにおいて重要な課題となる。
さらに坂口氏は、「撮る/撮られる」「見る/見られる」という関係にも言及した。写真では、撮る側と撮られる側の間に力関係が生まれることがある。誰が誰を記録するのかという問題は、写真だけでなく、音を録るフィールドレコーディングにも当てはまる。記録する側がどのような立場から対象に向き合い、記録される側にどのような配慮をするのか。音を作品として表現する際には、録音技術や音そのものだけでなく、記録する側とされる側の関係性も考える必要がある。
写真と音の共通点から始まった話は、やがて、場所の歴史をどう伝えるか、聴き手の想像力をどう残すか、そして誰が何を記録するのかという問題へと広がっていった。フィールドレコーディングは、音を記録する行為であると同時に、その場所や、そこに関わる人々とどのように向き合うかを問う表現でもある。

柳沢氏が進めている、佐渡島での録音プロジェクトが紹介された。ここでは、フィールドレコーディングが「環境を記録すること」からさらに一歩進み、環境そのものとの対話になっていく。鼓童の演奏者とともに、島のなかから音の響きが面白い場所を探し、太鼓や笛を鳴らす。海を挟んだ岩壁に音を当てれば、反射した音が戻ってくる。エフェクターを使わなくても、地形そのものがディレイのような働きをする。ここでは、演奏者、環境、そして録音者の三者が関係しながら音が生まれている。演奏者がその場所に反応し、録音者がその音を追いかける。さらに、録音者自身の位置によっても、聞こえる音は変わってくる。フィールドレコーディングは、完成された音を一方的に記録するのではなく、その場で起きている出来事に参加しながら、音をつくっていく行為にもなり得る。
そして、話は「聴くこと」そのものへと戻っていく。
音は単に耳に入ってくるものではない。私たちは、音の反射や響きから、自分がどのような空間にいるのかを感じ取っている。街を歩きながら音の響きが面白い場所を探したり、家や喫茶店のなかで「なぜかこの場所が心地よい」と感じたりすることも、その一つなのかもしれない。フィールドレコーディングを続けていると、それまで無意識だった空間の違いや音の響きに、少しずつ敏感になっていく。

録音した音は、その瞬間に聞いた音とは別のものとして、後から立ち現れる。録音したときには気づかなかった音を、時間が経ってから聞き返すことで発見することもある。子どもの声など、当時は何気なく聞いていた音が、数年後にはまったく違うものとして聞こえてくることもある。録音は、そのときの出来事を保存するだけではない。時間が経ったあとにもう一度聴き直すことで、記憶を別のかたちで呼び戻す装置にもなる。
坂口氏は、サウンドアーティストの鈴木昭男氏のワークショップに参加した経験から、「エコーポイント」という考え方を紹介した。鈴木氏は街のなかを歩きながら、音の響きが特徴的な場所を探し、エコーポイントとして見つけていくという。坂口氏は、こうした場所への感覚は、実は日常生活のなかにもあると話す。家で音楽を聴くときや、喫茶店でお気に入りの席を選ぶとき、私たちは無意識のうちに、居心地のよい音の環境を選んでいるのかもしれない。

フィールドレコーディングやリスニングの経験を重ねると、そうした感覚が少しずつ敏感になっていく。街のなかの響きや、建物によって変わる音の聞こえ方、遠くから届く音など、これまで気に留めなかったものが耳に入るようになる。一方で、何もかもが気になってしまい、日常生活を送るのが難しくなるほど敏感になることもあるという。音を聴くことは、単に耳に入ってくるものを受け取るだけではなく、周囲の環境との関わり方そのものを変えていく。フィールドレコーディングが広がっている背景には、録音機材の変化もある。1970年代には、ソニーのカセットレコーダー「デンスケ」などをきっかけに、生録と呼ばれる録音文化が広がった。かつては機材を用意して出かける必要があった録音も、現在ではスマートフォンや小型レコーダーによって、誰もが気軽に試せるものになっている。けれど、今回のトークを通して見えてきたのは、機材の進化だけでは説明できない、音を聴くことへの関心の広がりだった。
周囲の音に耳を澄ますという感覚は、現代のフィールドレコーディングに限ったものでもない。日本の伝統的な庭園に見られる鹿おどしや水琴窟も、音を生み出す仕掛けを通して、空間のなかに響く音に耳を向ける文化として捉えられる。そこでは音そのものだけでなく、音が生まれる間隔や余韻、周囲の静けさも含めて、聴くという体験が成り立っている。録音するために耳を澄ます。耳を澄ますことで、これまで聞き流していた音に気づく。そして、一度気づいてしまうと、街のなかの響きや誰かの声、遠くから聞こえる音、さらには場所に残された歴史まで、以前とは違ったように聞こえてくる。
今回のトークで語られたのは、音を記録する技術だけではなく、音と場所、時間や記憶との関係、そして聴くことを通じて周囲の環境と向き合う姿勢だった。フィールドレコーディングは、一つの音楽ジャンルや録音技法にとどまらず、日常のなかにある音を捉え直し、世界の聞こえ方を少しずつ変えていく実践なのかもしれない。
フィールドレコーディング ワークショップ・リスニング&トーク
開催日: 2026年9月26日・27日
会場:SKAC (PARK)
登壇者:坂口修一郎、1729、柳沢英輔、佐々木敦、虹釜太郎
主催・企画 :井口寛、坂口修一郎、柳沢英輔